秋田県と青森県の県境にある。大湯のストーンサークルを紹介してみましょう。正確には「大湯環状列石」といいます。中学校の歴史の教科書などに写真が載っていますので、聞いたことのある人がほとんどだと思います。思い出してみてください。
今は見渡す限りの草原の窪地におおがらの石がごろごろしている。実はここ、かれこれ20年ほど前にも来たことがある。
当時は、立派な資料館もなく、ただただ黒い台地が広がっていて、そこに、大柄な楕円形の石が並んでいた。
何の発掘か?まだ発掘作業中で多くの土器のかけらが散乱していたように記憶している。
大湯のストーンサークルは、昭和6年、標高180mの十和田大湯の耕作地を整備している最中に出土した4000年前の縄文後期に作られた不思議な石組である。ここのものは大きな環状列石で、外帯が約50m。一見すると乱雑に散らばっているようであるが、離れてみるとやはり環状につながっているようだ。ここのものは土星の輪を想像していただければわかりやすい。
離れてみると遠くから見ると輪のように見えるが、近づくと石が乱雑に並んでいるようにも見える。
さらに内側に近づくと一般的には棒状の杭のようにたてられて石を中心に長細い棒状の石を放射状なならべたものが見られる。これは何か墓標のようなもののようで、実際にこの下からは人骨も見つかっているようだ。
一説には日時計とも言われているが、日時計がこんなにたくさん必要だとも思えない。
また、ここからは生活に使った縄文土器や土偶も見つかっている。
この地方で出土する縄文土器は実に不思議で、芸術的に感じるが、当時の人に芸術感あったかどうかは疑問である。
大湯の環状列石は、中野堂遺跡と万座遺跡の2つの場所からなるが、万座側のほうが大きく、復元家屋などもあるので見やすいが、私的には中野堂のほうが、環状列石らしいので、見る機会がある方にはこちらをおすすめする。
実際、古代人は何を見て、何を考えてこんな遺跡を作ったのだろうか?日本中探してもこれだけ大きな環状列石群は見つかっておらず、世界的に見てもイギリスのストーンヘンジ以外に見当もつかない。もちろん大きさや緻密さからみれば、ストーンヘンジと比べるのは見当違いではあるのかもしれないが、もしかするともっと深く発掘すればストーンヘンジ並みの大岩が出てくるかもしれないと思うのは私だけだろうか?
この環状列石というものだけ見てみれば、日本中にはたくさん存在する。日本のピラミットと呼ばれる遺構は必ずと言っていいほど、環状列石が山頂で確認できる。
私が感じるこの環状列石が存在する場所にはたぶん、さらに下に何かが埋まっているよという印みたいな感じがした。当然私のような考えの人は多いはず、すでに誰かがここを掘り、埋まっていた何かを掘り出してしまっていると考えるほうがはるかに、現実味があるように思う。だから何も出土しないのかもしれない。
(もしかすると土器や人骨はここを発掘した人々のものか?それにしても土器や土器のかけら、人骨などは宝ではないと思う。)
ここは誰でも見学できるが、私たちが目にできる環状列石軍はレプリカで、本物は土の下に埋め戻されて保存されている。
何のために作られ、何のために使用されたかわからないストーンサークルであるが色々と考えてみた。
日本にはこのほかにウッドサークルなるものも存在するようだ。
もしかすると、列石や環状という形にこそ、なんらかの意味があるのかもしれない。
先ほど、ピラミットと呼ばれる山頂に環状列石が存在すると述べたが、山頂の下には丸く大きな太陽石と呼ばれる石が埋められている。そうなるとやはり、石を並べる形と石そのものの持つパワーや、形に意味があると考えるのが妥当のような気がしてくる。
この近くには「黒又山(くろまんた)」と呼ばれる三角の山が存在する。この山も人口造山とされ、近年発掘されて話題となった。こんな山が近くにあるのも単なる偶然として片づけられるのだろうか?
これらの謎も、いずれ解明される日が来るかもしれない。
この環状列石群を眺めながら、今後の考古学に期待したい。またこの地方に住んでいた縄文人の豊かな知性と想像力に思いを寄せながら、20年の時を隔てて再びこの地に立って悠久の彼方に思いをはせてみた。
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