みなさんは「生石」と書いてなんと読めますか?
これで「おおしこ」と読みます。
今回は、生の石「生石神社」を紹介します。
この神社、宮城県は塩釜市にある「神釜」、そして宮崎県は霧島にある高千穂山山頂の「天の逆鉾」、そして今回の兵庫県は高砂市にある「石の宝殿」。これがいわゆる日本三奇と呼ばれる、とても人のなせる業ではない不思議中の不思議である。
私はこの日本三奇はすべて訪れたが、ここ生石神社は別格の謎がひしめいていた。
何故この大岩がミステリーかといえば、この神社が鎮座する場所がまるでオーストラリアのエアーズロックを彷彿とさせる大岩の中腹をくり抜いて作られていることにある。
そんな馬鹿なと、思われるかもしれないがまさに巨大な岩盤の中にたたずむ神社としては他に類をみない特異な構造をしている。
ご神体はというと神様が造りかけた「石の宝殿」と呼ばれる謎の岩なのだ。割拝殿と呼ばれるこれまた特異な形式の拝殿の下をくぐりぬけてたどり着く大岩は見る者に「圧巻」としか言いようがない感覚を与えている。
特に「生石神社」の割拝殿は珍しく、他の神社では拝殿上部に上がるには石段などを登ることになるが、その階段自身がくり抜かれていて、左右にはそれぞれ「大穴牟遅(おおなむち)」と少毘古那(すくなびこな)」が祭られている。言い伝えでは天津神の命を受け国土経営のためこの地に給いし時、それに見合った石の宮殿を一夜にして造営しようと考えた大穴牟遅と少毘古那であったが、阿賀の神の抵抗が強く山を下りて鎮圧をこころみた、このため石の宮殿は完成していたが最後に起こすことができず夜明けとなってしまったため、完成を待たずして放棄されてしまった。よって「宝殿」は未だに倒れたままである。
石の宝殿は推定500トン。実際にはもっとあるようだが謎に満ちたその大岩は大きさだけでなく、その形にも驚かされる。
現在、頂上部には砂がたまり木が生えているが、私はこの頂上部には穴があり中に出入りできるのではないかと思っている。
実は不思議はこれだけではない。四方7mのこの大岩には幅1m強の溝のようなものが刻まれている点、屋根のようになった場所はよく見ると屋根ではなく、何かの連結部のように見える。石の下部には池があり決して枯れることもなく、腐ることもない。ただし現在のものは濁っていて、お世辞にも澄んだ水とは言い難い。
石の宝殿はこの池から浮き上がっているように作られていて下部は地面とつながったままだ、したがって実際には起こすことは出来ないように思う。
よくよく考えてみれば、そもそも「石」という超重量物の宝殿を何故、寝かした状態で掘らなければならなかったのか?もし三角の部分が本当に屋根だというなら、最初から直立した状態で掘り進めれば起こす必要性は全くないと感じた。
そもそも当時は、重機などなく、古代の人が500トンもの大石を起こそうなどと本当に考えていたのだろうか。
そう考えるとやはり、この岩はこの形で何かに利用するためのものだと考えるのが正しいように思う。今となってはこの岩の利用方法は、まったくもって不明であるが、手間も労力もかかる大岩の制作など何かもっとも重要な理由がなければ、行われない事業だと感じた。
もしかすると頂上部に空いた穴は濾過槽になっていて、雨水を蓄えるだけでなく、きれいに濾過したのち、下側に作られた池に注がれる仕組みになっているのではないか?側面に掘られて溝は、頂上部に開けられた穴に処理できなくなった水が、その溝を伝わって流れ落ちるようになっていたのではないか?そんな気がしてきた。想像通りのものならよいが、いったい何の目的で先人たちがこれを築いたのかは、永遠の謎である。私の仮説通り水をろ過するための大掛かりな装置となれば、この石の下に溜まった池の水が枯れないのも納得がいく。水はゆっくりと時間をかけて濾過され続けているのだろう。
この石の宝殿を制作した際、膨大にでた砕石は人や獣に踏ませてはならないとされ、一里(約4キロ)も離れた高御位山山頂に整然と捨て置かれたと言い伝えられている。
拝殿横には「霊岩」が鎮座し、願いを込めて力いっぱい押すと願いが叶うとされている。筆者はこの岩を押したときめりめりと岩が剥がれるような感触に襲われた。何か意味があるのだろうか?
この岩の横から岩盤の頂上に登ることができる。
岩盤頂上部には「大正天皇行幸(ぎょうこう)の碑」があり公園のようになっている。周りを見渡すとこの岩盤の巨大さがありありと感じられる。また社務所脇の木々の間には摩訶不思議なミニチュアの石の祠が石の柱の上にあった。これはと思い写真に撮ったが、なんと不思議なミニチュアだろう。小人が住んでいそうな石の家が庭付きで再現されている。
この祠はさらなるミステリーを私たちに投げかけていた。このミニチュアの祠のことを詳しくご存知の方は是非ご一報いただきたい。
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