静岡県は遠州森町にあります。小国神社を紹介します。
小さい国と書いて「おくに」と読みます。
「おぐに」となまって呼ぶ方が多いと思いますが、正式にはなまらないのが正解。遠州一宮に指定され、山深い場所にこつ然と巨大な神社が出現する感じは神霊示現から起こった神社というにふさわしいものです。
小国神社と聞いて、皆さんはどんな印象を持ちますか?私は大国主を連想してしまいました。
もちろんこの神社の主祭神は「おおなむちのみこと」ですので、大国主になるんですが、そうなるとこの神社は必然的に大国神社とならなければならないのに何故「小国神社」なのでしょうか?
諸説ありますが、未だ決定的な説は無いようです。一説には出雲の大国に対する美称だという説がありますが説得力に欠けるものです。
大国主の大国とは出雲のことをさし、「すさのう」の命を受け、スクナビコナと協力して、「豊葦原中国(とよはらなかつくに(大国))」を作った人物で、古事記では重要な役目を果たしています。
神話では皆さんにも根の国の「いなばの白ウサギ」はあまりにも有名な神話ですよね。
ここに出てくる豊葦原中国とは天津神が暮らす「高天が原」と対峙する場所であり、実質の国譲りとはこの「豊葦原中国」をめぐる話なんですね。この話はあまりにも有名であり、日本人なら誰で一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
ところで小国神社の起源は「欽明天皇16年(555年)2月18日現在の地より6キロほど離れた場所に本宮山という山があり、ここに神霊が示現(じげん)したので、朝廷からの勅命を受け、社殿を造営したことに始まる」とあります。
簡単に言うと本宮山に神からのお告げがあって、朝廷からの勅令がありここに小国神社を建てたということです。
本宮山山頂には小国神社の奥宮があるといいます。つまり本宮山は古来からあり、古来にはもっと違う形で大国主を祭っていたということなのでしょうか?
以前、紹介した「手長神社」や「タカミナカタ」の神は国譲りで最後まで反対した人物だと話しましたが、苦労して築き上げた豊葦原中国を大国主自身、そう簡単に天津神に渡せたのでしょうか?
私は出来なかったと考えます。
私の推測ですがもしかすると、大国主と「タカミナカタの神」は一緒に天津神に反抗しこの遠州の地まで逃げ延びてきたのではないでしょうか?事実、この近くには天竜川という川があり長野県の諏訪湖から流れ出た水が川となって太平洋にそそぐ、つまりここをさかのぼれば諏訪¥にたどり着くのです。
「テナズチノミコト(スサノウがヤマタノオロチを退治した時、助けた娘の親)」も大国主がいたからこそ、出雲から遠く離れた、信濃の辺境の地まで逃げてきたのではないのでしょうか?だから天津神もこの地までしつこく、追いかけてきた。
ここで大国主も降参し、息子の「タカミナカタの神」の命を救う代わりに天津神に投降した話しが国譲りの話に変化したのではないでしょうか?
話では、タカミナカタの神はもともとこの信州は諏訪という場所を納めていたという。
この話を聞いたとき豊葦原中国は出雲地方にとどまらず、果ては信州諏訪まで勢力範囲を伸ばしていたのではないでしょうか?
事実、出雲大社ら出雲の西の端、青谷上寺地遺跡からは骨角製品1400点・人骨5500点・獣骨27000点・鉄製品270点、そして三人の人間の脳も腐らずにでてきました。驚くことに、この遺跡からは大量の人骨と戦乱の跡が発見されています。おまけに肋骨に矢じりが刺さったものや頭蓋骨が陥没したものや剣で刺された跡があるものまで見つかりました。これらの人骨は墳墓に埋められた状態ではなく、男女そして子供含まれた状態で、90体以上の遺骸が水路に散乱していたそうです。それらはいずれも鉄器による殺傷痕でした。
これはこの地方を襲った武装集団がいたということです。それは惨殺した死体を無造作に穴の中に放り投げたというのがふさわし表現でしょう。この時代は「魏志倭人伝」、「後漢書」や「梁書」による西暦147から183年に「倭国乱れる」という時代に相当し、これらの記録が正しかったのではないかという仮説が成り立ちます。また、出雲大社からほど近い「荒神谷遺跡からは銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。全国の銅剣出土数が300本余りでしたので驚く数字です。
これはここにかなり大きな軍隊が駐留していたことを示しています。
現実的に、この話の中からまるで情けない兄として描かれている「コトシロヌシノカミ」も実は天津神の軍隊、建御雷神に不意を突かれ、あっという間に制圧されてしまったのではないかという仮説も成り立ちます。
こう考えると邪馬台国はやはり出雲より南にあり、邪馬台国=天孫降臨(高天が原)ということにつながってはこないでしょうか?
こんな仮説が湧き上がってくるから神社は面白い。
昔から、出雲大社は大国主を幽閉するために作られたといわれていますよね。
出雲にも大国主を本当に祭る神社は別にあるようです。
小国神社は山の中にこつ然と大きな神社が表れる。いつも多くの人でにぎわっていて、私は何度かここを訪れていますが、ここでは小国とは大国あってのもの。タケミカズチから見れば「大国神社」とできなかっただから「小国」だったのでしょうね。
この神社、大国主が縁結びの神として有名であることから結婚式を挙げる神社として有名なんですね。
先日も5組の挙式がおこなわれていました。
神社の参道は長く大きな杉が何本も生えています。
大きな池もあり対岸には別の神様も祭られています。
巨大なご神木の切り株や、縁結びのご神木の「ひょうのき」もあります。
このひょうの木の葉には小さな穴が開いていて、風が吹くと「ヒューヒュー」と音がすることからひょうの木と呼ばれているそうです。
この木は女性が使う櫛を作るための木で、宮中では大変珍重されていたそうです。
また伝説ではひょうの木の実で作った笛を吹いて、オオナムチが女神と契りを交わしたことから縁結びの木としても有名になったとか。現在は社務所の裏手にひっそりと祭られている。
ぜひお出かけになって見ては?
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