こんにちは神崎慎一郎です。今月は前回の続き魔王天神社です。
前回はこの神社の場所や神社自体の話を中心に話を進めてきました。
また最後にこの魔王天の正体が第六天魔王波旬(だいろくてんまおうはじゅん)であるというところまで話しましたよね。
そこで今回はさらに第六天魔王波旬の第六って何さというところを話していきます。
仏教には世界は六道に四聖を加えた十界からなっているといわれています。
六道というのは「地獄界」、「餓鬼(がき)界」、「畜生界」、「修羅界」、「人間界」、「天上界」のことを言います。
具体的に言えば
地獄界・・まさに地獄を指します。
餓鬼界・・飢えと渇きに苦しむ一種の地獄。
畜生界・・本能のままに行動する主に動物世界地獄。
修羅界・・阿修羅と同じ。争いや怒りの絶えない世界。
人間界・・まさに人間界である。
天界・・・天国だと考えられる。
この十界とは別に天上界と六道を三つに分ける、三界という欲の分類がある。
三界とは
欲界・・食欲や性欲などの一般的欲求にまだ捕らわれている者が住む世界。
色界・・一般的な欲望は捨て去ったが、時間や肉体と言った物理的概念にはいまだ縛られている段階の者が住む世界。
無色界・肉体などの物理的束縛すらも抜け出し、思考と精神のみで存在する者が住む世界。
簡単に言うと、「欲まみれの世界」「神に近い世界」「精神世界」と解釈すればよい。
十界でいう天上界の下層階が欲界と交わっていて、この交わった部分をさらに6つに分けた下から6番目が大六天である。
実は大六天というのは神の名前ではなく、分類された階層の一部の世界を意味しているのです。
つまり、天上界の下層部分は三界の欲界の一番上と交わっているということなのです。簡単に言い換えれば「天界に住む神の中にも欲を持った神様が存在する」ということなのです。
ここに大六天が住んでいるといわれています。
正しくはこの悪魔の名前は「他化自在天(たけじざいてん)」といい、仏敵であり、仏の修業をする者を妨げる魔のことでなんですね。
日本には古くから神社を中心とした神道と自然の中にある神や精霊などをお祭りする古神道がありましたが、ここの大陸から仏教が伝わってきたのです。
仏教の伝来にともにいない、神社の神と仏教の神は同じ神だから一緒に祭ろうという、神仏習合(神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう)が行われてきた。
なじみのない仏教を日本人に浸透させ、日本古来からあった、神社や古神道の神も仏教の神と混合されて祭られた。
しかし、いいものだけでなく敵対する魔族もひとくくりにして伝承してきたため、これらも日本に伝わってきてしまったのです。
日本にはこの魔族に相当する部分が最初から思想としてなかったために、仏教の力で魔王も仏に変えてしまったようです。
これが明治になって神と仏を一緒に祭るのはおかしいという考えと僧侶が神職の上に立つというおかしな状態が発生したため「神仏分離」をとなえた神仏判然令(しんぶつぶんぜんれい)が施行されたのです。
このときはじめて仏教と神道が別れたんですね。
神道は厳密に「祭神」を立てご神体を祭る神社形式が成り立って各派が存在する。
これに沿うことができない、つまりうまく分類の利かない神様の多くは古神道の古い神や仏教とともにやってきた仏教に敵対する魔族を含め、次第に弾圧され敬うことを禁止されたため、人々から忘れ去られていった。
これが日本でいう魔王天であり、第六天魔王波旬(だいろくてんまおうはじゅん)であり、他化自在天(たけじざいてん)であるということなのです。
もともと日本人は自分たちに都合の良い解釈をする。
自分たちの敵対する部族には、悪魔でも自分たちには神様であるとする暗黙のルールである。
神とは都合の良いもので人々の信仰をパワーとし、信仰亡き者には災いを、信仰があるものには幸福をもたらす存在なのです。
これは漢字にも現れます。
魔とか魔王とか書きますが最悪なのは「悪魔」なのです。
魔だけでは善なのか、悪なのかわからなくなりますよね。
「魔法」というと「常人には不可能な手法や結果を実現する力のこと」を問う定義です。
つまり神が行う常人には実行不可能な出来事や現象に「欲」が加わると魔とか魔王というものになるようです。
また仏教の世界観ではとかく、そのもののランクづけをしたがりますが、これは仏の教えに聞く耳を持つか持たないかに分けられると私は思います。
大六天は結局、仏にさとされて人々を救う神となり、信仰の対象となっていきました。
そんな古来からの信仰がうかがえるのが「魔王天神社」でした。
意外と静岡から近いところにあるので皆さんも訪ねてみたらいかがでしょうか?
神崎慎一郎
2019年10月15日 at 3:31 PM
悪魔王信長、善魔王円義教、どうじゃな。?