戸隠神社の九頭竜とヤマタノオロチ

DSC_0110こんにちは神崎慎一郎です。

じめじめとした陽気になってきましたね。

ところで今回は信州の戸隠にある戸隠神社奥にお宮に行ってきました。

通常は長野市から車で約1時間30分ほど山間の道を走るとたどり着けるのですが、

私たちは富山から入っていったので割とすんなりと戸隠にやって来れました。

DSC_0110  戸隠といえば「そば」も有名ですよね。以前、戸隠もご紹介しましたが、今回の戸隠はもっと奥、駐車場から40分も山道を歩いた奥の宮への旅です。

DSC_0101 一口に戸隠神社といっても実は奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社(ひのみこしゃ)の5社から成り立っています。

DSC_0104DSC_0105今回は朝から晴れてはいましたが日差しは熱く、おまけに駐車場は大混雑、それもそのはずこの日は奥の宮のお祭りでたくさんの観光客でごったがえしておりました。

 

 

 

 

 

DSC_0106最初は晴れて暑かったのですが、今回訪れる奥社は九頭竜様の聖地。

天候が心配でしたので雨具を持参し、山道へ。

 

 

 

 

 

神社なのになぜか山門?

神社なのになぜか山門?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DSC_0112案の定、奥の宮につく頃には雨でした。

神主さん曰く「今日は九頭竜さんの力が強いね。」なんて言っていました。

神社の神は参拝客を歓迎すると雨を降らすといわれていますが、さすが竜神です。

「ドシャ降りの雨」でした。

傘持っててよかった。

 

 

ところで戸隠とはアマテラスオオミカミが岩戸隠れをなされたとき、アメノウズメの踊りに誘われ岩戸を少し開けた瞬間、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が思いっきり戸を開けたため、その戸が信州の戸隠まで飛んで行ったという言い伝えから生まれているそうです。

その戸が今の戸隠山だといわれています。

この話、高天原(タカアマガハラ)でのお話なので、天の岩戸がどこにあったということではないのですが、天の岩戸と呼ばれる場所は全国にあります。DSC_0114

私が調べただけも16か所もありました。

岩戸の所在地はわからないにしても、実は驚くべき方法でなんとなく場所がわかります。

戸隠はこの岩戸が飛んできた場所とされていますが、大まかなものはここ戸隠だったとしても、この戸が飛んできたとされる場所はほかにもあるのです。

一方は九州の高千穂山、もう一方は信州、戸隠山でした。

でも変ですよね。飛んできた戸を隠すとはただ飛んできた戸なら「飛戸」とか「岩戸」でも

いいように感じますが・・・・・。

戸隠とは岩戸を封じるという意味、つまり2度と岩戸に隠れられないように戸を隠したことから戸隠という名前になったということです。

つまりこの信州という土地はタカアマガハラの岩戸に近い場所にあったということが推測されます。

しかし奥の宮に祭られた九頭竜は主祭神のタジカラオノミコトよりも古くからこの戸隠の氏神だった。

この九頭竜、もともと悪神であったがヤマトタケルノミコトに退治されたという伝説残っている。ヤマトタケルノミコト?

不思議な話であるこの日本という国にはヤマタノオロチをはじめとする首が8本やら9本もある竜神族が多いこと!

ヤマトタケルも首が9本もある化け物をスサノウノミコトのように退治していたなんて!

でも果たしてそうであったのだろうか?首の多い竜なんてそうそういるのだろうか?

そう疑問を抱いて考えた。

伝説は伝説としてよいのですが、スサノウノミコトとヤマトタケルノミコトが異常なほどダブって見える。まるで同一人物のように見えるのは私だけだろうか?

もうお分かりだろう。

ここの旅の目的は言わずと知れた「新説国譲り」である。

諏訪湖畔で祭られていた「てなづち、あしなづち」この人たちはスサノウノミコトがヤマタノオロチ退治のときのおじいさんとおばあさんなのです。

頭のいい方はもうお気づきでしょう。

もとより、出雲から遠く離れたこの地になぜ出雲神話にまつわる話の発端があるのでしょか?

本当はヤマタノオロチ伝説は実はここ長野で起こったこということなのでしょうか。

事実、8つの股なら「九頭竜」になるでしょ。

つまり九頭竜とヤマタノオロチは同一神ということです。

ここまでの一致は偶然ではない。

出雲の神話は天津神に譲られた国そう、「芦原中つ国」の中で起こった話をまとめたものでは

なかったのか?

単純に信州とは「神州」という方もいますが私は「神集」「神衆」ではなかったのかと考えたのです。

この地は神々が集まる場所だったのです。

つまり、高天原(たかあまがはら)はこの信州だったのではないでしょうか?

以前から古事記を読んでいるとはじめはとても壮大なタカアマガハラを中心とした天地創造の話なのが、こと「国譲り」のくだりでは、一転して出雲神話へとすり替わってします。

「芦原中つ国」という壮大な国の話がすべて出雲で起こった話に変わっていくのはなぜか違和感を感じていました。

まちがいなく「信州」はもともと「神州」であり、実は「神衆」であったと私自身確信するに至りました。

先日、久々に「飛騨」に行ってきましたが、この地も長野の近くにあります。

「飛騨」とは「日を抱く」というそうです。

前々から言っているように日本語は最初に音があって、この音にうまく漢字を当てはめた。「ひいだく」と呼ばれていたのをいつの間にか「飛騨」と呼んだように「しんしゅう」という言葉が最初にあり当て字をあてがっていつの間にか「信州」に転じたとは思えないだろうか?

「新説国譲り」まとめの時期が近づいてきたようだ。


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