霊犬神社?「お犬様?」そう今回はそんなお話。
これは、静岡県磐田市に伝わる昔、昔のお話。
遠州は見附宿あたり、この村では毎年、秋祭りのころになると山神に村の若い娘を人身御供に差し出すという風習があった。
今年もまたそんな時期がやってきた。村では、白羽の矢が突き立てられた家にいる年頃の娘を神に差し出さねば、村にたたりがあると言い伝えられてきたのだ。
村人は渋々と娘を差し出してはいたが、ある屈強な者が、「実際にそんなこともあるまい」と言って娘を差し出さない年があった。
その年の収穫まじかに、村のほとんどの田畑が荒され、村は惨憺たる状態となった。おまけにその年は、人身御供は一人では収まらず3人も差し出すはめになってしまった。困り果てた村人は仕方なく、毎年、人身御供を続けることになった。
坊さんがある家の前を通りかかると、家の中から泣き声が聞こえてきた。坊さんは家を覗き込むと中では家族が娘を囲んで泣いていた。
家主に事情を聴くと、「今年の秋祭りに山神様に娘を人身御供に差し出さねばなりません。」そう告げた。不審に思った坊主は家族に「神様も仏様も人身御供など望まない。それは神ではない。」そう村人に言い、山神を確かめに行くことになった。
北の山に古いお堂があった。今は荒れ果て、どんな神を祭っていたのか知る人もいないありさまだった。
山奥深く分け入った坊さんは、山神を祭っていると言われるお堂を確かめた。お堂の中には何もなく、戸は外れ、荒れ果てたありさまだった。坊さんはこのお堂の上にあった穴に身をひそめ、夜を待つことにした。
深夜になって、声が聞こえた。坊さんがうとうととし始めたころ「しっぺい太郎はおるまいな。信州、信濃のしっぺい太郎には知られるな。」と歌いながら黒い化け物が現れた。
これを聞いた坊さんはこの化け物の天敵が「しっぺい太郎」と知る。
村に帰った坊さんが、化け物の天敵を連れて戻ることを村人と約束し、「しっぺい太郎」探しの旅に出る。
ところが坊さんが信州をくまなく捜し歩いたが、「しっぺい太郎」という人物が見つからない。そんなある日のこと、信州は伊那の宮田村まで来たとき、茶屋の主人に「しっぺい太郎」のことを訪ねた。
主人は「しっぺい太郎」という人物は知らないが、そんな名前の犬ならここからしばらくいった駒ヶ根の光前寺にいると告げる。ここでようやく、「しっぺい太郎」が犬であることが分かった。坊主は急いで、光前寺に向かい、この寺の住職に「しっぺい太郎」のことを聞く。住職が「しっぺい太郎」を呼ぶとワンと答えて犬が現れた。坊主は事情を話し、「しっぺい太郎」を借り受けて、村に戻ることができた。
村ではいよいよ人身御供の期日が近づいていた。村人は今か今かと坊主の帰りを待ちわびていた。
そこへ、犬を連れた坊主が現れた。この犬があの「しっぺい太郎」と聞かされて、唖然とした村人たちではあったが、半信半疑で坊さんに化け物退治を託すことになる。
坊さんと「しっぺい太郎」は娘の代わりにこの荒れた社で化け物を待った。箱の中で坊さんと「しっぺい太郎」息をひそめていると、「しっぺい太郎はおるまいな。信州、信濃のしっぺい太郎には知られるな。」と歌が聞こえてきた。化け物が箱に手をかけた途端、「しっぺい太郎」は箱から飛び出し、化け物に襲いかかった。
驚いた化け物であったが、とびかかってきたものがあの「しっぺい太郎」と聞いてなお驚いた。必死に戦ったが、あえなく「しっぺい太郎」にたおされてしまう。
朝になって坊さんが気づいてみると、そこには大きな老ヒヒの亡骸が横たわっていた。化け物の正体は年老いたヒヒ(サルの化け物)であった。しかし、「しっぺい太郎」の姿もそこにはなかった。
村に戻った坊さんは、村人に化け物の話を村人に話すと、「しっぺい太郎」を探しに出かけてしまう。
「しっぺい太郎」は傷つきながらも光前寺にたどり着き、住職の顔を見るなり「ワヲン」と吠えると息絶えてしまう。
ようやく、「しっぺい太郎」探し出した坊さんであったが、傷ついて死んでしまった「しっぺい太郎」のことを知って、天神社から般若心600巻を持って光善寺に収めた。
とこれが、言い伝えである。
静岡は見附天神社にこの言い伝えが残っているが、長野側の話とは若干異なっている。
そこで今回私がこの話を、上記のようまとめてみた。
何とも摩訶不思議な、長野と静岡を結ぶ話である。
この話は、実は私は父方の実家である宮田村大田切という村で知っていた。小さいころはよく光前寺に連れて行ってもらったものです。
光前寺は大変大きな寺で、ヒカリゴケで有名。
本堂の奥には「延命の水」という湧水もあって、小さい時にはよく飲んだものです。
お寺といってもまるで、神社のようであり、参道が続いていて、大人が6人がかりで囲ってもまだ余るような大きな杉が何本も並んでいます。
またここにはきれいな庭があって、有料ではありますがお茶を楽しみながら見ることができます。ぜひ光前寺へおいでの際にはお寄りください。またいつかこの寺を訪れることがあったら詳しくレポートしますね。
ところで今回、行った見附天神は「矢那姫神社」。この神社の裏手真向かいにあるのが「霊犬神社」です。ここに「しっぺい太郎」は祭られています。
ここは全国でも唯一、動物を祭った神社として愛犬家はもとより、動物を愛する人たちのお参りが絶えません。
犬を祭った神社にしては立派な鳥居と長く続く参道があり、当時の村人たちがこの「しっぺい太郎」に大変感謝したことが伺えます。
実はあの徳川家康公もここ伝説を知り、大変感銘を受け、犬を送り出した長野は伊那の光前寺を大変手厚く庇護したと言われています。この事実がこの「霊犬神社」にもてあつく保護を受けていたのでしょうか?
実はこの「しっぺい太郎」という名前。
仏教の「しっぺい」という道具から来ているように思われます。
先のくるっと曲がった木の棒で、坊さんが禅問答を行う際に用いるものだそうです。
私たちも生活の中でなじみの深いもので、しっぺ返しと言って、指2本で腕をたたくしぐさをしますよね。あれがその名残ですね。
しかし実際は少し違います。長野では「疾風太郎(しっぷうたろう)」と呼ばれていたそうです。それを静岡の人たちが間違えて「しっぺい」と呼んでしまったようです。坊さんが連れてきたので聞き間違えたのでしょうね。
「疾風太郎」と読みますが、長野の光前寺では本当は「はやたろう」と呼ばれていたようです。「疾風」と書いて「はやたろう」とは面白い話ですね。
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