私はかれこれ20年ほど前にここに来たことがある。
東北地方には以前から不思議なところがたくさんある場所だが、今回はそんな場所を一挙に回ってきた。
旅の目的は「大石神」と呼ばれる場所である。
大湯のストーンサークルから約30㎞位、山の中に入った場所にここはある。唐突ではあるがキリストの墓で有名な新郷村にここはある。
不思議なものが2つもあるとは偶然にしてはできすぎである。できすぎといえば、この新郷村も元は、「戸来村」とよばれていた。
戸来とは「ヘブライ」のことだと言われ、渡来人が住んでいたと言われている。
現に旧約聖書の中に失われた12部族のうち、2部族は行方不明になっており、この部族がヨーロッパから極東のエデンを目指したのであれば、まさにここ日ノ本こそ、極東の地「エデン」と考えても不思議はない。この日本より東には島も大陸もなく広い太平洋が広がるばかりだからだ。
彼らが理想の地を得てここに住み、栄えたと考えてもおかしくない。事実、この地方の女の人たちには美人が多く、はっとする人が多い。私的には五感をくすぐられる美人が多いのだ。
ちょっと日本人離れした堀の深い顔立ちの人たちが多く目鼻立ちはしっかりしている。嘘だと思う人は行って確かめてみるとよい。ただし電車ではなく、車かバイクで。なぜならそんな方々はたいてい田舎のコンビニや売店に多いからだ。
そんな戸来村の山の中に入った場所に、「大石神」は存在する。今の今まで勘違いしていたが、ここには神社がない。
神社ではないのだ。山を登っていく中腹のあたりに巨石が突然現れる。車を止め「大石神ピラミット」と書かれた看板を見ながら赤い鳥居をくぐりぬけて奥に進んでいく。
こんなところに鳥居があったため、前回の記憶の中に神社として刷り込まれていたに違いない。
ところがここには小さな祠があるだけで神社はない。
方位石に鏡岩、屏風岩などが点在しているが、特筆すべきは、ここに安政4年まで立っていた大きな屏風岩。
残念なことに今はその面を下にして倒れてしまっているため、その文字を確認できない。
岩は厚く、大きさはどう小さく見積もっても1,000トン以上はあり、ちょっとやそっとでは起こして確かめてみるなんて言う、しろものでもない。
そんな言い伝えがある大石神であるが、周囲にある大岩もなんとはなしに平ら面が多く、じっと見つめていると表面に文字のようなものが刻まれているように思えるのは私だけだろうか?
数枚の写真をご覧いただきたい。偶然にしてはできすぎている。
この近くには、ドコノ森と呼ばれる一帯が存在し、昔は古代文字が刻まれた小さな石の破片が一面に散在していると言われている。
実はここ、これで終わりではない。私的にはここはピラミットではなく、ただの拝殿だと考えられる。先の広島県は庄原にある葦獄山もそうであったが、鬼叫山にこれと同じような拝殿があり、周りには鏡石、方位石などが確認されている。ここと同じである。
この先に山の上に続く階段があり、「上大石神」と呼ばれる場所がある。以前、訪れた際には、やはりいくつかの巨石が点在はしていたが、一番の発見はその先にあった。山のさらに奥、稜線をたどっていくと石を並べたきれいな環状列石があったことだった。直径は約5m位。私たちはこの場所がこのピラミット本体であり山頂と確認。その先も調査を試みたが、残念ながらその先には何も発見できなかった。残念なことのこの場所は上大石上からも離れているため、何の案内板もない。
山頂からは、戸来山が一直線上に確認でき、やはり何らかの神事が、このあたりで行われていたことは間違いない。
この村には「ナニャドヤラ」と呼ばれる不思議な踊りと歌が伝承されている。この踊りの中には「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」という歌詞があって日本語では、何の事だか長らく解読不明であったが、神学者の川守田博士は「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という進軍歌だという。また子供の額に十字を切ったり、キリストと弟のイスキリの墓もあり、キリスト教とのつながりも多く感じられる不思議な地域である。
神崎慎一郎
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