羽衣伝説と御穂神社

 静岡には全国にも有名なお話が2つあります。

一つはかぐや姫で有名な「竹取物語」、これは作者や著者年代は不明ですが全国的に広がっていてあまりにも有名。蓬莱山や富士山が登場するので、富士周辺のお話として残っています。竹取物語に関してはいずれまた改めて話してみたいと思いますが、今日はもう一つのお話、「羽衣伝説」を紹介しましょう。

  静岡は三保にある羽衣の松と富士山は昨年「世界遺産」にも登録され、日本は自然遺産を含めて17か所になりましたね。

ちなみに富士山は文化遺産なんですね。

 羽衣伝説を知らない人のためにここで読み語りをしてみましょう。

 

 

 

 

 

むかし、むかし三保に白龍(はくりょう)という漁師がおりました。

ある日、白龍が三保の松原で釣りをしていますと、どこからともなく良い香りがしてまいりました。香りに惹かれて行ってみると一本の松の木に美しい衣が風に吹かれて揺れておりました。

「なんて美しい衣なんだ、持ち替えてって家宝にしよう。」そう思い衣を持ち帰ろうとしました。

「もし、それは私の着物です。」

そう、声をかけられました。

振り返るとそこには美しい女が立っていました。

「私は天女です。その衣は天の羽衣と言って、あなた方には用のないものです。どうぞ、お返しください。私はそれがないと天に戻れません。」そう言ったのです。

白龍はこれが天の羽衣かととても驚きましたが、天女の悲嘆(ひたん)にくれた姿を見て、かわいそうになり、羽衣を返す気持ちになりました。

「この羽衣を返す代わりに、天神の舞を舞ってください。」白龍がそう告げると天女は喜んで承知しました。

「しかし、天の舞は羽衣がないと踊れません。まずは羽衣をお返しください。」

白龍はふと思いました。羽衣を返せば天女は舞を舞わずに天に帰ってしまうのではないかと・・・・。

すると天女はきっぱりと答えました。

「疑いや偽りは人間の世界のこと、天人の世界にはございません。」白龍はこの言葉にすっかり恥ずかしくなり、天女に羽衣を返したのでした。

天女が羽衣をまとうと、優雅に舞いを舞い始めました。するとどこからともなく、笛や太鼓の音が聞こえ、あたりによい香りが立ち込めました。白龍があっけにとられていると、天女はふわりふわりと舞い上がり、見る見るうちに愛鷹山から富士のたかねのかすみにまぎれて、消えていきましたとさ。

おしまい

 

とまあこんな話なんですが、

私は小さいころ羽衣の松へは何度が言ったことがありましたし、羽衣伝説も小学校の頃よく聞いた有名な話ですね。

実はこの「羽衣伝説」全国いくつかあるんです。静岡以外では

滋賀県、京都府、千葉県、鳥取県、大阪府、沖縄などにあるようですが、静岡の三保の「羽衣伝説」が全国でも有名な話ですね。

またこの白龍(はくりょう)は天女に手も触れていないばかりか、天女がかわいそうになり羽衣を返してしまう。

他の伝説では自分の奥さんにしたり子供まで作ってしまうお話も残っています。

しかし白龍はそうしなかった。

このことが実は後の人々の感動を呼び、人から人へと伝わって全国的に有名になったということなんですね。

現在でも白龍の家のあった場所には小さな社「白良神社」が鎮座し羽衣の松の近くの離宮(りきゅう)の羽車神社が海に向かって鎮座しています。

10月には羽衣祭りも開かれ、有名な能「羽衣」がこの木の前で演じられている。その際のたいまつの種火が白良神社から神の道を通って羽車神社へ奉納されている。

 

 

 

 

 

この能はフランスのエレーヌ・ジュグラリス夫人が日本の能を研究した際、「三保の羽衣伝説」を知り、これを題材にした能「羽衣」を世界に発表。能は瞬く間に世界的に有名なったが、彼女自身、この目で羽衣の舞台を見たいと、来日を希望していた夫人の希望むなしく、35歳という若さで他界、彼女の遺言通りに衣装と遺髪がこの地に埋葬されています。

この地には「御穂神社」が三保の松原からのびる「神の道」を通って鎮座しています。

作られた場所として言い伝えられており、江戸時代までは神の領地として人々が気軽に立ち入ることができない地として存在していたといわれています。

 

 

 

その際に、多くの松が群生し、現在よりも豊かな松林に覆われた場所だったようです。

この一夜にして神様によって出現した「三保」という表現は一概に伝説ではなく、1707年(宝永)の富士山噴火の際にはこの三保半島があっという間に海にきえたといわれています。

また「御穂神社」の主祭神は「大国主」でまたこの地も例の「葦原中つ国」との関係があったことをうかがわせます。

大国主の国譲りの際、事代主(ことしろぬし)の神が釣りをしていた場所は三保ケ崎。しかし現在、日本にはこの三保ケ崎という場所は存在しない。(出雲に三保関という場所はあるようだが・・・・。)

また出雲、出雲というが、記紀は出雲神話ではなく、むしろ高天原や広大な葦原中つ国のお話と考えれば、すべてが出雲周辺で起こった出来事ではないような気がする。

つまりこの葦原中つ国の東の果てがこの静岡、いや富士山までが葦原中つ国とは考えられないだろうか?

こう考えると出雲がすべての舞台だと考えるのは間違いのような気がする。

もしかしたら八岐大蛇で有名な、手長、足長の夫婦は初めから、長野県の諏訪に住んでいたのかもしれない。だからここに祭られていると考えられないだろうか?

私の父は長野県上伊那の出身であるが、この地方には実は昔から大蛇伝説が存在する。

この話の一致は偶然だろうか?

実際、出雲神社は大国主が自由にできないようにする場所といわれていて、大国主を祭った神社はほかにあるとも言われている。謎は深まるばかりだ。こんなことを考えると大和朝廷=天津神なんてことも考えられる。私は大和朝廷が九州だ畿内だと争っているが、この話を統合するとどちらも正しいような気がしてきた。この話はおいおいまとめていきたい。

今年の夏は、出雲に出かけてみよう。

いずれにしてもこの三保という場所は神聖な場所であり、美しい景観と、人々の心をいやしてくれる、そんなパワースポットだと再感じました。また、ここは世界遺産にふさわしい場所だと再認識させられました。

みなさんも、ぜひ訪ねてみてはいかがかな。


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